2015-12-25 (後編)障害者の「働く」をデザインする @京都大学
前回の「2015-12-25 (前編)障害者の「働く」をデザインする @京都大学」の続き。
縫製会社の事例から再開します。
4-1)ある縫製会社の話~一般就労事例~
前編のカフェは就労支援サービスを提供している事業所の事例だったが、縫製会社の事例は一般企業が障がいの者の「働く」を可能にするために、どのようなデザインをしたかという話になる。
この会社ではいくつかの工程で障がい者が働いているが、講演ではおもに縫製工程で使うミシンのデザインを紹介してもらった。
4-2)ミシンのデザイン~モジュール化・ユニット化~
話は、ある障がい者が縫製工程に配属されたところからはじまる。
この配属は本人の希望に添ったものだったのだが、仕事になりうる質のものをミシンで縫えるようになるのはけっこうムズカシイらしい。
この工程で使っているミシンは、おそらくミシンといって大抵の人が想像する、ペダルを足でふんで駆動させ、手で布を動かして縫っていく、というものだった。たとえ障がいがなかったとしても、習熟するにはそれなりの時間を要する仕事だったので、雇用側はとても心配していたそうだ。
そしてその心配は的中してしまった。
一ケ月の研修を経てもまったくものにならずに、結局別の仕事に回ってもらうことになったのだ。
ところが、休憩時間に暴れたり、いつのまにかミシンをさわっていたり、というような問題行動が目立つようになったという。
このままでは雇用契約を打ち切られるということもありえたが、この会社では「そんなにやりたいのなら、この人でも使えるミシンをつくってあげよう」という話になったのだそうだ。
新しいミシンは以下のようなものだった。
○CADを使って型を切り出す
○ミシンのボタンを押したら、CADを使って作った型に沿ってワンショットで縫う
○パフォーマンスは以前のミシンの約2.5倍
○だれでも使用可能
このミシンのデザインには「モジュール化・ユニット化」という原理が適用されているのだという。
この「モジュール化・ユニット化」、日本では特にはっきりとした定義がなく、けっこうごっちゃに使われているようだ。
ぼくも厳密に区別できていないのでおおざっぱにいうと、モジュールもユニットもいわゆるブラックボックスで、そこにある入力が与えられると、それに見合った出力があるという機構・システムと理解してもらえればいいかもしれない。
なにが便利かというと、使用者は中身を解していなくても扱え、さらにシステムの一部として決められた機能を果たしてくれる、というところだ。
ちなみに海老田先生は、車のアクセルを踏むと走りますよね、と説明されていた。
で、なぜこの原理が適用されたというと、そこには作業分割の話が関係してくるのだ。
どういうことかというと、たとえば「取って置く」という動作の連続する作業があったとする。これを分割したら、作業が「取る」と「置く」の二つになる。
当然作業の難易度が下がるので、これをできる人も増える。障がい者の仕事を生み出すには、ベターな方法だ。
しかしこの方法は、雇用者側への配慮が欠けているのだ。
作業が分割されることによって難易度は下がって、できる人も増える。
しかしこれはいかにも仕事をやっているように見えるけど、しなくてもいい仕事を増やしている、と言えなくもない。
さらに仕事が増えれば、当然人件費も上がる。
雇用側の立場を想像すれば、とても容認できることじゃない。
で、その問題を解決するためにこの新しいミシンの例では、作業を一個一個に切り分けるのではなく、モジュール化・ユニット化することで障がい者の「働く」を可能にし、なおかつ雇用者側には生産性の向上というメリットをもたらすようにデザインしたのだ。
海老田先生はこんなふうにまとめられていた。
○「ユニット化・モジュール化」の合理性とは、雇用者への配慮と被雇用者への配慮を同時に最適化すること
○ここでの雇用者への配慮とは、作業を単純化することで無駄な作業及び人件費を増やさないという、作業効率や経済効率への配慮
○被雇用者への配慮は、本人たちのやりやすい方法で高付加価値を生み出すような作業デザイン
簡潔でわかりやすいです。
あと新しいミシンでは「モジュール化・ユニット化」と併せて「シームレス化」という原理も適用されているという話があったのだけれど、そもそもこの「シームレス化」という概念がまだよくわかっていなくてうまく説明できる自信がないので、割愛させてもらいます(海老田先生、スミマセン)。
5)デザインなき……
まとめで「作業デザイン」と「組織デザイン」の2つのデザインが「働く」を可能にしたという前置きへの、以下のような回答があった。
○「作業デザイン」は、障がい者を障害カテゴリーから雇用カテゴリーへ、障がい者の特性や抱える困難を包摂しつつ変容させる装置である
○「組織デザイン」はその雇用カテゴリー執行を維持する装置である
そして雇用カテゴリーに維持された障がい者は、もはや「障がい者」ではない。
それは企業にとって必要不可欠な「社員」なのだ、と。
最後に海老田先生は以下のようなことをおっしゃって話をしめくくられた。
○採用問題や定着問題は、マッチングやナチュラルサポートだけで解消できない
○障害者の「働く」が何によって可能になるのかという問いに対して、本報告では、デザインの水準でその方法論を記述することで回答した
講演の最初に「納得はするけど説得はされない」というコトバを聞いたときに、なんでぼくはあれほど興奮したのだろうかとあとから考えた。
そしてふとあるコトバを思い出したのだ。
それはパスカルの「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である」というコトバで……
いいカッコするのはよそう。
ぼくが思い出したのは、子どものころ週刊少年ジャンプで読んでいたあるマンガのセリフである(笑)
「愛や優しさだけでは必ずしも他人を守れない時もあるのです。
正義なき力が無力であるのと同時に力なき正義もまた無力なのですよ」
このセリフに今回学んだことをあてはめてみる。
「『マッチングやナチュラルサポート』だけでは必ずしも障がい者の『働きたい』という思いを守れない時もあるのです。
『マッチングやナチュラルサポート』なき『デザイン』が不十分であるのと同時に、『デザイン』なき『マッチングやナチュラルサポート』もまた不十分なのですよ」
ぼくはなにもマッチングやナチュラルサポートが不必要だと思っているわけではない。
実際、縫製会社である障がい者が働けたのは、本人がそこまで言うならと、新しいミシンを導入してくれた雇用者の支援の気持ちのおかげである。相当の理解がなければできることじゃない。
かといって、マッチングやナチュラルサポートだけでは不十分なのだ。
そこに「デザイン」というものが加わったときに起こった変化を見て、障がい者の働くを可能にする道のひとつがここにはあると思った。
6)モチベーションを高める内発的動機づけ~「自律性」「有能感」「関係性」~
ここでは、この講演を聞いて以降、ある本を読んで感じたことを書こうと思う。
講演の本筋から若干外れた、とりとめのない所感みたいなものなので、飛ばしてもらってもOKです。
まずは本の紹介から。
エドワード・L・デシという人の「人を伸ばす力―内発と自律のすすめ」。
この本によると、モチベーション理論において、動機づけには2種類あるのだという。
ひとつが「外発的動機づけ」。
もうひとつが「内発的動機づけ」。
「外発的動機づけ」はいやゆるアメとムチ式というやつで、貢献したら給料あげるよ、でも不利益を与えたら罰するよ、というやり方だ。
なんかイヤなやり方だなと思うかもしれないけど、これが有効だった時代もあったのだ(実際いまもこのやり方を採用している企業は多いと思う)。
たとえば人口が増え続け、物をつくったら売れる、という数十年前の日本のような時代。このようなルーティンな状況では、「外発的動機づけ」のほうが「内発的動機づけ」より有効なのだという。
一方の「内発的動機づけ」は、「活動それ自体に完全に没頭している心理的な状態」で、平たくいうと仕事に意味やおもしろさを見いだして、人にいわれなくてもやっている、という感じである。
何が正解かわかならい不確実性の高い、いまのような時代に有効な動機づけだと思う。
で、デシさんは「自己決定理論」というもののなかで、内発的に動機づけが起こるのは「A.自律性」「B.有能感」「C.関係性」の3つの基本的欲求が満たされたときだ、と言っているのだ。
「A.自律性」「B.有能感」「C.関係性」がどんなものかネットで調べてみた。
A.自律性
自ら行動を選び、主体的に動きたいという欲求。
B.有能感
何かを成し遂げて、周囲に影響力をもちたい、そして影響を与えて何かを得たいという欲求。そのために必要な知識・スキルを学び、成長するために行動することになる。マズローの欲求段階説における自尊的欲求に該当する。
C.関係性
他者と深く結びつき、互いに尊重し合う関係をつくりたいという欲求。マズローの欲求段階説における社会的欲求に該当する。
で、この3つの欲求が満たされると、時の流れも忘れてその行動そのものに没入し、学習が促進され、成果が出る、らしい。心理学では「フロー状態」という。コトバだけは聞いたことがあるので、いずれ関連本を読みたいと思っている。
で、前置きが長くなったけど、この3つの欲求をミシンの事例に当てはめて考えてみた。
▼以前のミシンのとき
a.自律性…○。ミシンは本人の希望だったし、仕事を外されたときも触っていたぐらいだから
b.有能感…×。うまくミシンを扱えなかったから
c.関係性…×。会社に貢献できていなくて、周囲の目もつらく感じていただろうから
▼新しいミシンのとき
a.自律性…○。
b.有能感…○。自分でもミシンを扱えるようになったから
c.関係性…○。会社に貢献できていると感じられるようになり、周囲の目も気にならなくなっただろうから
a、b、cはやる気を引き出す三角形を形成しており、以前のミシンを使っているときは機能不全に陥っていたが、新しいミシンを導入することでうまく連結し、ポジティブなエネルギーが循環するようになったのだと思う。
実際、なぜかはわからないが新しいミシンを導入してから問題行動がピタリとやんだ、と海老田先生がおっしゃっていた。おそらくこの循環が機能し出したのだろう。
今後デザインを考えるときは、この三角形の連結がうまくいくように、ということを意識するとよいかもしれない。
また今回の事例では「自律性」が起点となっていたと思われるが、「有能感」や「関係性」が起点となってほかの欲求も満たされることはあるのか、あるのだとすればそこにデザインがどのように介在したらよいのかという視点はもっておきたい。
7)「やってみたらうまくいきました」
縫製会社の事例に対しては、それはこの会社が古くから障がい者雇用をしてきた実績と、それを可能にする資源があったから可能だったのではないですか?という意見があった。
たしかにこの会社では30年ほど前から障がい者雇用をしており、新しいミシンの費用の一部は補助金でまかなわれたが、それでもけっこうな額の自腹を切れるだけの資金をもっているということだった。
また補助金を引っ張ってくるための資料を整えられるすぐれた人材もいるとのこと。
こんな話を聞くと、やっぱり恵まれた一部の企業だけの話じゃないか?と言いたくなる気持ちもよくわかる。
しかしそれを認めたうえで海老田先生がおっしゃったのは、この例では資源があって計画性があったからだけでうまくいったわけじゃない、ということ。
新しいミシンもミシンメーカーからたまたま営業がきて、うまくいかないかもしれないけどためしにやってみようか、なんか該当しそうな補助金ない?ある?じゃあそれでやってみよう、という感じでスタートしたのだという。
この例のように、成功しているところは「やってみたらうまくいきました」というところが多いのだそうだ。
綿密に計画して周到に資源を集めました→さあやるぞ、ではおそらくダメなのだ。
はやくやってみて、はやく失敗する。失敗したら修正してまた試してみる、というトライ&エラーのサイクルをどれだけスピーディに回せるかが大切なのだろう。
海老田先生は、この講演で「こうしたらこうなります」というゆるぎのない理論を説明しにきたわけではないと思う。「デザインの水準でその方法論を"記述"すること」で回答としたのだ。
障がい者就労は、まだまだその端緒に立ったばかりといってもいい状況だ。
そんな状況で「こうしたらこうなります」なんていうありがたい理論がそうそうできあがるわけがない。
海老田先生が提示してくださったような"記述"がいずれ、「なぜ?」という問いへの回答を"説明"できる理論に昇華される日を楽しみにしたいと思う。ぼくに役割があるとしたら、それはいずれその理論の一筋へと織り上げられるような、つまり"記述"される価値ありとみなされるような実践を続けていくことなのだろう。
最後に。
「デザイン的な発想のない組織に障がい者雇用はできない」。
自分の心のなかにしっかり刻みつけておこう。