2015-12-25 (前編)障害者の「働く」をデザインする @京都大学
クリスマスに京都大学へ「障害者の『働く』をデザインする」という講演を聞きに行ってきた。
どこでこの講演のことを知ったのかというと、ぼくのメンター的な人が「この講演、イカンとイカンやろ!ズバリスギルやろ~!」と興奮気味に講演のことを教えてくれたのだ。
ぼくの仕事は障がい者の就労支援だ。その本分に「デザイン」というホットなワードがくっついたら、これはたしかに「イカンとイカン」。そんなわけで、どんな話が聞けるのだろうとワクワクしながら、寒さキビシイ京都へと出かけたのだった。
いきなり話が逸れるが、実は京都大学にはその二日前に行ったばかりだった。
「ビジネス・コミュニケーションリーダー養成講座」という連続講座の場所が京都大学だったのだ。
http://www.design.kyoto-u.ac.jp/activities/forthcoming/6733/
この講座は「ビジネスシーンや高等教育現場など、主に18歳以上をターゲットとした『学びの場』をデザイン・リードできる人材の養成」を目指して開講されている。
とても刺激的な内容なので、いずれ時間をとってぜひまとめておきたいと思っている。
1)「納得はするけど説得はされない」
で、ようやく本題。
以降の内容は講演中にメモしたノートや、いただいた資料をもとに書いているが、もしかしたら誤りや聞き逃しがあるかもしれない。そういう不完全なものであるという前提でまとめておく。
講演者は海老田大五朗さん。新潟青陵大学福祉心理学部で准教授をされている。
専門はコミュニケーション研究。社会福祉士や精神保健福祉士の養成もされているが、ここ数年で障がい者の就労支援のことも研究するようになったとのこと。
海老田さんはある知的障害者の作業所を見学されたときに、そのスピードと正確性に驚き、すごく仕事ができるじゃないかと思ったそうだ。
ところが工賃を訊いてみると、月15,000円。
働けなくて十分なお金をもらえないならわかるけど、ちゃんと働いているのに最低賃金すらもらえないなんて、世の中おかしくないか?と思ったのだという。
ちなみに月15,000円という工賃は、この作業所のような就労継続支援B型事業所では全国平均レベルである。
で、そもそも障がい者の就労支援の研究に、なんで「デザイン」が絡んでくるのかという話。
海老田さんの専門であるコミュニケーション分野に「会話分析」という技法があり、そのなかに「受け手に合わせたデザイン」というものがあるそうだ。
これは、
「会話の参加者の1人が発言をするとき、その発言は、他の参加者が個別具体的な人(たち)であるという事実への考慮と敏感さを示すような形で、組み立てられデザインされることになる」
というものである。
これだけでは難解なので海老田さんがあげてくださった例で説明すると、震災で実家が壊滅したという友人に「両親は死んでますか?」とは訊かないですよね、普通は「両親は大丈夫ですか?」と訊きますよね、ということである。いずれの質問も訊きたいことは同じであるが、相手のことを思いやって組み立てられた(=デザインされた)コトバが選ばれるということである。
次に、障がい者雇用には2つの問題があるという話。
ひとつが採用問題で、その解決策としてのマッチングの問題。
平たくいうと、障がい者の雇用を促すためには適材適所が大切です、という話。
もうひとつが定着問題で、その解決策としてのナチュラルサポートの問題。
ナチュラルサポートとは「ジョブコーチなどの『就労支援専門職者』ではない、『一般の人びとの支援』『労働外の支援』『特別扱いしない支援』」のことである。
ジョブコーチの詳細を知りたい方はコチラをご覧ください。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/06a.html
つまり障がい者の雇用には採用と定着というハードルがあって、それを飛び越えるには「マッチング」と「ナチュラルサポート」が必要ですよ、という話である。
で、こう説明されたあとに海老田さんがおっしゃったことに、ぼくはビビッときた。
「納得はするけど説得はされない」
そう!そうなのだ!
「マッチング」と「ナチュラルサポート」が必要条件なのはわかる。でもそれだけでは不十分なのだ。
そしてぼくはここで、この「障害者の『働く』をデザインする」という講演のシラバス的なものに記されていたことを思い出した。
「障害者は働けないのではない。
障害者が働けないように社会がデザインされているのである。
この事実を理解するのに必要なのは、慈悲の心ではない。
物事を多角的に検討できる、偏見にとらわれない思考である。」
http://www.design.kyoto-u.ac.jp/activities/forthcoming/6757/
「物事を多角的に検討できる、偏見にとらわれない思考」。
つまりこの思考を可能にするのが「デザイン」であり、その話をこれから聞けるのだろうと思うとドキドキしたのだった。
2)「働く」を可能にするデザインを記述する~「作業デザイン」と「組織デザイン」~
ここから事例に添って、どのように「働く」が可能になっていったかが記述(※)されていったのだが、前置きとして、以下の2つのデザインが「働く」を可能にした、という話があった。
ひとつが「作業デザイン」。これは作業道具とワークプレイスのデザインである。
もうひとつが「組織デザイン」。これは人材配置とワークフローのデザインである。
この2つのデザインを念頭に置いて話を聞けばいいのだな、と思いながらぼくは話の続きを待った。
※「説明」ではなく「記述」としたのには理由がある。
まずシラバス的なもので講演の内容が「本報告は、報告者自身が開発したデザインの紹介ではない。 障害者の『働く』を可能にした、野生のデザインの記述である」というふうに、あえて「記述」としていたため。
あと最近読んだ本で、「説明」と「記述」には差がある、ということがわかったから。
くわしくは、高根正昭著『創造の方法学』(講談社現代新書)のP31~52をご覧ください。
http://urx.blue/qc7d
3-1)あるカフェの話~福祉就労事例~
最初はあるカフェの事例だった。
このカフェは、精神障害者の就労継続支援B型と就労移行支援の多機能型とのこと。
就労継続支援B型?就労移行支援?ナニソレ?
という人もいるかと思って、就労支援サービスをわかりやすく解説してくれているサイトを探してみたのだけれど、あいにく見つからなかった。これはたぶんぼくのアンテナの質が悪いせいだと思うので、いいサイトがあったらだれか教えてくださいm(__)m
で、このカフェの一般就労の移行率(就労支援サービスを経由して一般企業に就職したパーセンテージ)を知ってビックリした。
なんと80%以上だというのだ。全国平均は15%なので、驚異的な数値である。
続いて以下のようなカフェの目的が紹介された。
○働きながら社会で自立するために必要な技術・能力を習得する機会を提供すること
○病気とつきあいながら、本人が無理せず安心して過ごせる場を提供すること
○喫茶店として地域住民、一般の方に身近に利用してもらい、地域社会の精神障害者に対する理解を深めていくこと
しっかりとした目的であるとは思うが、正直いって特段目を引くところはない。
次に内外装のデザインの紹介されたが、中古の一軒家をリフォームし、テラスや屋外でもお客さんがくつろげるようになっているとのこと。ここまではフムフムという感じだった。
3-2)二者択一的な選択をしない
話が俄然おもしろくなってきたのは、椅子やテーブルのデザインからだ。
椅子もテーブルも不揃いなのだ。一部のものは角が欠けていたり、脚が錆びたりなどしている。でも軽微な破損で、使えないというほどのものではない。
この椅子やテーブルは、捨ててあった板に修復を加えて事業所のスタッフと精神障害者である利用者とが協働して作成したり、廃校になった学校から入手したりしたものなのだという。
スタッフが作業療法士で、こういう作業を得意としていると聞いて、この作業自体を訓練プログラム化したりしているのだろうな、と思った。
しかしポイントはそれだけではなかった。
より大切なのは、
○一部の破損などがあるからといって、ただちに不要なものとは見なさず、
○空間配置のデザインや部分的な修正などの創意工夫によって、そのような古びたものや不揃いのものを、その空間全体の中で調和させ、
○ある種の欠損があったとしても、配置によって心地よい空間を生み出す資源として再活用している
ということだったのだ。
特にぼくが大切だと思ったのは「一部の破損などがあるからといって、ただちに不要なものとは見なさず」というところ。これこそまさに福祉心の真骨頂だろう。
しかしそれだけでは十分ではない。
古びたものや不揃いのものを空間全体の中で調和させるデザイン力があってこそ、その福祉心をも体現する場所をつくりあげることができたのだと思う。
またテラスの屋根のデザインでも、そのような調和を可能とするデザイン力が発揮されていた。
当初、テラスの屋根は透明のプラスティック素材で、夏になると日照によってテラス席が大変な高温になってしまうという問題があったのだそうだ。
対策として天井板を貼るというアイデアが出されたものの、せっかくの明るさや開放感が犠牲となってしまう。
どうしたものかと悩んでいたところ、「布を張るとおしゃれでよい」という助言をくれた人がいて、そのとおりにしたら以下のように問題が一気に解決したのだ。
○布を使用することで、余計な熱をこもらせてしまう紫外線をカット
○なおかつ明るさや開放感を犠牲にしない
○美的にも優れたインターフェイスを生み出す
ここでもポイントなのは、二者択一的な選択をするという福祉心にもとる解決策ではなく、トラブルを解決しつつ、美的なものを犠牲にしないという道を選択したことだ。
福祉心とデザインの幸せな融合を見せられて、ぼくはますます話に聞き入った。
3-3)地域と共生するデザイン~見えないものを見えるようにする~
小物・装飾のデザインの話。
このカフェのある地域は過疎化が進んでいるが、自然が豊かだった。
そこらへんに生えているものをブチッと抜いてきて活けるだけで、おしゃれな感じになるのだという。
ちなみにこれは、ボランティアのある女性の発案によって置かれるようになったものだそうだ。
またひざ掛けも布の色や素材の質感が考慮され、ただ置いてあるだけでも飾りとなり、かつひざ掛け本来の機能としても発揮する製品を選んでいるとのこと。
そしてレシピの話。
カフェと訊いたとき真っ先に思い浮かんだのが、レシピはどうしたんだろうか?ということだった。
というのは、福祉サービスを提供する事業所のスタッフは就労支援の専門職者であって、飲食業やカフェ運営の専門家ではないので、自分たちだけではたいしたものをお客さんに提供できないのは明白だからだ。
この問題を解決するためにこのカフェでは、実際に飲食業者として働いていたがすでにリタイアしている地域のボランティアからレシピを提供してもらっているとのことだった。
これは「より良い商品を提供できる」「商品開発のための経費を抑えることができる」といった、商品と金銭の直接交換に関わるものだけではないと海老田先生はおっしゃった。
どういうことかというと、商品開発を支援したボランティアが、友人や知人などを伴って、カフェにお客さんとして来店するのだという。作ったのなら食べてもらいたいと思うのが人情というものだ。
また質の高いレシピ(+空間デザインのよさ)でお客さんが増えることは、精神障害者とお客さんの接点が増えることを意味する。
さらにぼくが感心したのはその値段設定だ。安くなりすぎないようにしているのだ。
これはどういうことかというと、カフェの運営主体はNPO法人であり、必要以上の儲けを出してはいけないので、材料の仕入れ値+α程度に設定することも可能なのだが、あえてしていないということだ。
では何を基準に設定しているかというと、「地域の同業他店に迷惑をかからないように」設定しているのである。
少し話がそれるが、ここで「サービス」とは何か?という話をしたい(福祉サービスの話ではなくて、商品・サービスの「サービス」の話です)。
UXのセミナーを受けたときに学んだのだが、「サービス」は本質的な課題として目に見えないのだという。
ところでスターバックスコーヒーは何を売っているかご存じだろうか?
これはけっこう有名になってしまって、いまさらという話なのだが、スターバックスコーヒーはコーヒーを売っているのではない。サードプレイスを売っているのだ。
サードプレイスとは、ファーストプレイスを家、セカンドプレイスを職場(学校)とした場合に、その二つの中間地点の場所のことである。スターバックスコーヒーは、家でも職場(学校)でもない、お客さんが居心地のよさを感じて自由に過ごすことができる空間を提供しているのだ。
そのために心地よいBGMが流れ、テーブルや壁などのインテリアは万人に受け入れられるデザインとなっており、Wi-Fiや電源が無料で使えてPC作業などができるようになっている。
お客さんが居心地のよさを感じて自由に過ごす、というサービスは目に見えないが、たとえばWi-Fiや電源を備えることでそのサービスが見えるようにしているのである。
このように見えないもの(インタンジブル)を見えるようにする(タンジブル)というのが、今後のビジネスにおいて大切になってくるという話。
で、本筋に戻ると、このカフェも目に見えない何かを、見えるようにデザインしているんじゃないかとぼくは思ったのだ。
では目に見えない何を、すぐれた空間デザインやリタイアしたボランティアの開発したレシピ、その値段設定などで見えるようにしているのだろうか?
それは、この場所は障害のある人もない人も地域で共生していく社会を目指します、というメッセージなのだと思う。おそらく。
余談だが、このカフェはあえて就労支援をしている場所であるということをうたっていないという。これは個人的な意見なのだが、就労支援をしているところは商品やサービスを提供するときに、そこに障がい者がかかわっていることを前面に押し出す必要はないと思っている。
なんというかそれは、デザイン的にあまりスマートとはいえないと思うのだ。
でもこれはムズカシイ問題なので、あくまで理想、しかしできれば前面に押し出さなくても自然と受け入れられるようにデザインされた商品やサービスを提供できるようになれればなあと思う。
3-4)スキマ実習先
就労支援の悩ましい問題のひとつに、実習協力先の確保がある。
就労の訓練だけでは十分ではないので企業に実習をお願いするのだが、これを増やすのが容易ではない。
では、このカフェではどうしているのかというと、地域の活性化事業にスタッフや当事者が参加しているのだそうだ。駅前の清掃や花壇の手入れをしたり、イベントでカフェを出店したりしているのだという。
そして出店したときは収益は二の次で、地域の商店との関係づくりを目的にしているのだ。
そこで何をしているのかというと、店舗の人的資源にかんするニーズ、たとえば繁忙期はいつで、どの時期は人手がほしいかなどを聞き出して「うちの利用者を実習生として使ってみませんか」と提案するのだという。
イベントで働いている利用者の姿を見れば、ちょっとした配慮があれば十分働くことは可能であると理解してもらえるし、繁忙期だけの実習なので受入側の負担も少ないというわけだ。
そんなちょっとした実習先を確保するのに注力するのは、こちらの負荷とつりあわないと思った人はちょっと待ってほしい。このカフェは過疎化が進んだ地域で、実習協力先を確保するのがあなたの暮らす地域よりも困難かもしれない。そんな地域だからこそ、スキマのような実習先も貴重なのだ。
この話から学ぶべきことは、実習協力先はこんな感じの企業がふさわしくて、しかるべきやり方やルートを通してしか確保できない、といういつのまにか形成された常識を疑ってみるということではないだろうか?
3-5)「美は大事だと思うんですよね」
講演の終わりに、このカフェのことでぼくはこんな感じの質問をした。
「このカフェがすぐれたデザインを実践していることはよくわかりました。でもこのようなデザインを可能にするには、運営側にどのような素養が必要なのでしょうか?」
すると海老田先生は「美を解する感性でしょうか」というような返答をされた。
実際このカフェの代表責任者は、「美」の最先端を表現する人たちと親交があるそうだ。
これを聞いてぼくは無性にウレシクなってしまった。「だよなだよな」と思った。
ぼくはその「美」という答えが具体的にどういうことなのかまだうまく言語化できないのだけれど、後日その答えがまちがっていない、と思えるようなものを目撃した。
この日の講演のことである人が某SNSで、「気になったワードは『美』」という投稿をされていて、そこにいろんな人からのコメントが寄せられていたのだ。その一部を抜粋させてもらいます。
「『キレイ』ってことか?というと、チガウ!!」
「誤解を恐れないで言えば、何よりも美を最優先するのがデザイナーの役割だと思う」
「『美』にこだわりがないとイライラする。すくなくともベクトルが『広義での美』に真摯でないとね」
「デザインにおける美の重要性は興味がありますね。美的感覚の源の一つに、最適にデザインされたものを覚的に選び取る能力があるとしたら、『作業のデザイン』『組織のデザイン』といったものにも美を感じることができるでしょうね。方程式や物理法則に美を感じる人もいますし。美を感じないものにはどこかデザインの最適化の余地があるのかも」
「『美』というものは、おそらく、瞬時にわかります。おおげさにいえば、イノチは、『美』に対するセンサーを持っているのでは、と思います」
「美を感じるのは心というか脳かなって思ってる。引っかかって入ってこないものは最初はいいと思っていても陳腐化したりするような」
「イキモノをいきながらえさせる根本的なシステムに組み込まれているのでは?と感じています。」
いやあ、スゴイ!ムズカシイけど、ドキドキする!
ぼくもこれぐらい言語化できるようになりたいなあ。
ちょっと長くなってしまったので、ここでいったん切ります。次はある縫製会社の事例から。